NRLS-11



第五章 バースデイ

「シン君」
「……」
「シン君?」
「……ん、ああ」
「どうしたの? ぼーっとして」
「ん……いや、別に」
「別に、じゃないよ。シン君、最近変だよ?」
「そうか?」
「そうだよ。どうかしたの?」
「ちょっと、考え事」
「考え事? 悩み?」
「悩みってわけじゃないんだけどな……」
「でも、深刻そうだよ?」
 心配そうに顔をのぞき込むあゆみに微笑みかけると、真一は真顔で言った。
「真剣に考えなきゃいけないことだから」
「……そうなの?」
「ああ」
「それはシン君一人で何とかしなくちゃいけないこと?」
「最終的には俺一人じゃ結論を出せないことだよ。でも、今は……他人の手は借りられない」
「私は……黙ってるしかない?」
「いや、そんなことないよ」
 真一はあゆみの頭に手を置いて、冗談めかした口調で言った。
「どうしようもなくなったら慰めてくれ」
「……そんなに辛くなる前にきっと何かするよ」
「そうだろうな」
「きっと、余計なことなんだろうけど……」
「そんなことないって。ありがたいよ」
 真一は本心からそう言うと、
「それはそうとあゆみ、また告白されたんだって?」
「うん……」
「これで……四人目だっけ?」
「……うん」
「人気だな」
「……分からないよ」
「何が?」
「何で告白されるのか……」
「そりゃ、あゆみがかわいいからだろ?」
「え……そ、そんなことないよ」
「じゃあ何で、そんなに人気あるんだ?」
「だから分からないよ……。それに、私は……」
 あゆみはそこで言葉を切ると、うつむき大きくかぶりを振った。
「……何でもない」
「なら、詮索はしないけど……」
 真一は制服のポケットから小さな物体を取り出し、それをあゆみの手に握らせた。
「そのままにもしないぞ」
「……これ?」
 開いた少女の手のひらの上にあったのは、最近人気のポップアーティストがデザインした、少年のキーホルダーだった。
「俺だと思って持っててくれ。まあ、全然似てないけどな」
「そうだね」
 小さな幼なじみを見下ろすあゆみの表情には、もう明るさがあった。
「ありがとう。これ、誕生日プレゼント?」
「まさか。もう少しいいもの用意するよ」
「私、これでもいいよ」
「あのなあ……。あゆみがよくても、俺がよくないんだよ」
 あゆみは微笑んで、キーホルダーをポケットの中にしまった。
「やっぱりシン君、優しいね」
「何をいきなり」
「いきなり、じゃないよ。ずっと前から思ってたことだよ。子供の頃から、ずっと今まで……」
「……」
「私は、間違ってないって信じてるよ。誰が何て言っても、シン君がどんなに否定しても、私はシン君が優しくないなんて思えない」
 少女が見せるのは、強い瞳。そこにある心は誰も否定できず、そして恐らく拒む必要のないものだった。
「……そっか」
「ごめんね、わがまま言って」
「いや、あゆみが俺のこと優しいって思ってくれるのは、正直嬉しいよ」
「だって、事実だから」
 あゆみの素直な言葉に真一は照れたような苦笑いを浮かべ、
「でも、あゆみだって優しいよ」
 と、話の方向を少女に向けた。
「そんなことないよ」
「そんなことあるって」
「ううん、私は……」
 首を振り、何かを言いかけていたあゆみの唇が不意に止まる。と、次の瞬間少女は楽しそうに笑い出した。
「どうした?」
「もう何度目かな、って。こういう言い合い」
「確かに、いつもやってるな」
「これも私たちらしさなのかな?」
「だろうな。そうじゃなきゃ説明がつかない」
「そうだね。――でも」
「ん?」
「私が私らしくいられるのは、シン君がそばにいてくれるからだよ」
「それは……そんなことないんじゃないか?」
「ううん。シン君が一番素直になれる人だから」
「ああ、なるほど……」
「シン君の前だと、ちょっとくらい不器用でもいいかなって思えるんだよ」
「あゆみの不器用はちょっとじゃないけどな」
 と、真一は微笑んであゆみの頭をなでる。
「だけど、不器用な分一生懸命だろ、何に対しても」
「一生懸命やらないと、私は何もできないから……」
「そんなことないって」
 真一は軽く反論して、あゆみの頭を再びなでた。
「恥ずかしいよ……」
「あ、悪い」
 あゆみから手を離すと、真一は小さく息をついた。
「何度か聞いたことだけど……そんなに自分に自信、ないか?」
「うん……」
「そっか……」
「私、シン君が羨ましいよ……」
「俺が? どうして?」
「だって、自信があるから……」
「俺にだってないよ、自信なんて。ただ、誰にも負けないって思えることはたった一つだけあるけどな」
「誰にも負けないこと?」
「あゆみを大切に思う気持ち」
「え……」
「そんなにおかしいこと言ったか? 俺」
 真顔で尋ねる真一に、あゆみは大きくかぶりを振った。
「ただ、その……照れくさかったから……」
「ああ、それは俺もだ」
 苦笑いとも照れ笑いとも思える笑顔を見せて、真一はおどけてみせた。
「でも……嬉しいよ」
「嬉しいから照れるんだろ?」
「そうだね」
 薄赤い顔で少女は微笑む。彼と彼女を春風がなで、青い草木が歌った。
「あゆみさ、誕生日プレゼント……何でもいいんだろ?」
「うん、何でもいいよ」
「そっか……じゃあ、決まり」
「え?」
「あ、ダメだぞ……いくら聞かれたって当日までは秘密だからな」
「それじゃ、楽しみにしてるね」
「ああ、そうしてくれ」
「うん。――あ、それじゃ私、ここで」
 あゆみが立ち止まったのは、いつも別れる場所とは違う曲がり角だった。
「用事か?」
「うん、ちょっと」
「じゃあ、また明日な」
 あゆみがいつも通り、笑顔でそれに応える。夕日に照らされたその顔は、何故かいつもより印象に残った。


「うーん……」
 キャラクターグッズが数多く並んだ棚の前で、祐樹は腕組みをしていた。
「何にしようかな……」
 多くの人が行き交うデパートの中の雑貨屋。普段はあまり訪れないその場所で、祐樹は頭を抱えていた。
「……前原君?」
 聞き慣れた声。振り向いた祐樹は、笑顔を見せその名前を口にした。
「波田さん」
「何してたの?」
「プレゼント選びなんだけど、なかなか決まらなくて……」
「プレゼント? 誰に?」
「あゆちゃんに」
「水崎さん、誕生日近いの?」
「うん、明日。それでプレゼント探してたんだけど、なかなかいいのが見つからなくて……」
「悩んでたんだ」
 頷き、祐樹は猫のぬいぐるみを手に取った。
「何しろ真一がいるからね。重ならないようにしないと」
「仲井君、何あげるか分からないの?」
「真一が言うと思う?」
「思わない」
「じゃ、そういうこと。大体聞くのも野暮だしね」
 そう言いながら、今度は犬の人形。
「ぬいぐるみにするの?」
「それが無難だと思うから」
「じゃ、どうしてそんなに悩んでるの?」
「どういうのがいいのか、分からなくて……」
「たくさんあるもんね」
 と、由利は様々な種類のぬいぐるみが陳列されている棚を見渡す。
「波田さんだったら、どんなのをもらったら嬉しい?」
「変なのじゃなければ、大体どんなのでも嬉しいよ。本当は選ぶの手伝ってあげたいんだけど、お父さんと一緒に来てるから……」
「お父さん……って、まだ海外じゃ?」
「呼び戻されたから。本当に人使いの荒い会社だよね」
「言葉の割に、嬉しそうなんだけど?」
「えへへ……」
 照れくさそうに笑ってから、由利は不意にその瞳に暗さを映した。
「でも、忙しいのは本当……」
「ん?」
「今日だって久しぶりの休日で、本当はゆっくりしてて欲しかったのに……」
「お父さんが、出かけようって言った?」
 辛そうに、少女は微かに首を縦に振る。
「私は……」
 うつむいた由利の頭に、祐樹は小さなうさぎの人形を乗せる。驚いたように顔を上げた少女に、少年は優しく微笑みながらおどけた声音で言った。
「真一の真似」
「え?」
「あゆちゃんが今の波田さんの立場だったら、真一はきっとこうしただろうから。あんまり、気にしない方がいいよ」
「うん……」
「それで、波田さんのお父さんは?」
「ちょっと見るものあるからって……あ、戻ってきた」
「……由利……そのな……」
 暗い表情で、英明は娘にこれからの自分の行動を伝えようとする。だが由利は、その先を教えられるより前に口にしていた。
「会社から呼ばれた?」
「え……あ、ああ……」
「あんまり、無理しないでね?」
「ああ……って、そちらは?」
 祐樹の存在に気付いた英明が、不思議そうな表情で視線を向けた。
「あ、クラスメイトの前原祐樹君」
「初めまして」
「初めまして。そうか、君が……」
「え?」
「いや、何でもないよ。この埋め合わせは必ずするよ、由利」
「ううん、私は気にしてないよ。遅くなるの?」
「だと思う」
「じゃあ、夜ご飯はいらない?」
「ああ。それじゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
 由利は父親の背中を見送ると、祐樹に振り向いて苦笑いを見せた。
「やっぱり、人使い荒いよね。――前原君は、これからの予定って何かある?」
「え? ううん、ないけど……」
「だったら、これから一緒でいいかな?」
「別に構わないよ」
「ありがとう。それで最初は……プレゼント選びかな?」
「うん。波田さんだったら何もらったら嬉しい?」
「私は……結構何でも嬉しいかな。もらう相手にもよるけど……って、これじゃ参考にならないよね」
「気にしなくていいよ。それじゃ、えっと……」
 と、片手に持ったうさぎの人形に目を留めて、
「これでいいかな」
「それにするの?」
「うん。値段は……予算内。それじゃ、ちょっと待ってて」
 祐樹は足早にレジに向かい、支払いを終えるとラッピングが施された人形を持って由利の元へ戻った。
「あ、私もプレゼント買わなきゃ」
「何にする?」
「前原君と重ならない方がいいよね」
「そうだね……ハンカチとかいいんじゃないかな?」
「どこに売ってる?」
「一階に売ってたよ、確か」
「うん。ハンカチって言えば覚えてる? 入学式の日のこと」
「もちろん」
「あのときは、ありがとうございました」
「いえいえ」
 と、二人は笑顔を交わす。
「あのとき、前原君に会ってなかったら……私、どうなってたかな?」
「どうなってた、って……」
「正直……今みたいには明るくできてなかったと思う。学校にだって、来ないようになってたかも……」
「そんなこと……」
「ううん」
 かぶりを振って、由利は一瞬視線を上方に向ける。そしてまた少年の瞳を見た少女は、穏やかな表情をしていた。
「だから感謝してる……『祐樹君』には」
「え?」
「変……かな?」
「そんなこと!」
 強い語勢で否定し、祐樹はそれ以上何も言葉を紡げなくなる。数秒の沈黙のあと、由利がゆっくりと口を開いた。
「祐樹君は……まだ、『波田さん』?」
「あ……えっと……」
「いいよ、何でも」
 と、由利は祐樹の腕を取って、組みついた。
「……ダメかな?」
「え……ううん、そんなことないけど……」
「祐樹君なら、きっとそう言うと思った」
 赤くなった顔で、うつむきながら下りのエスカレーターに二人は乗る。目的の階に着くまで、結局彼らは無言だった。
「えっと……」
「あ、あそこだね」
 センスのいいハンカチが並ぶ売り場の前で、二人は様々な意見を交わす。と、見計らったかのように店員が声をかけてきた。
「プレゼントですか?」
「あ、はい」
 頷いた由利を見て、店員は笑顔で問いかけを続ける。
「それで、お客様が彼に?」
 数秒、二人は顔を見合わせる。そして同時に、
「違います!」
 狼狽が店員の瞳の中に生まれる。だが、その色は一瞬で笑みの下に隠れた。
「友人への、誕生日プレゼントです……」
 うつむきながら小声で、由利が答える。
「お友達は女性ですか?」
「あ……はい……」
「ご予算はおいくらですか?」
「えっと……二千円くらいです……」
「でしたら、これなんかいかがでしょうか?」
 と、店員はチェックの柄のハンカチを勧める。
「こういうの、水崎さん好きかな?」
「たぶん好きだと思うよ」
「じゃあ、これ下さい」
「はい、ありがとうございます」
 代金を払い、ラッピングされたハンカチを受け取る。
「ありがとうございました」
「これから……どうする?」
 祐樹の問いかけに、由利は自分の手の中にあるハンカチに視線を落としながら答えた。
「少し歩こうよ」
 その言葉と同時に、由利は歩調を速める。
「……祐樹君」
「何?」
「本当に……ありがとう」
「え?」
「色々と……本当に、感謝してるよ」
 と、目を細めると澄んだ空を仰いだ。
「不思議だと思わない?」
「何が?」
「世の中にはこれだけたくさんの人がいて……」
 目の前を通りすぎる名も知らぬ人々に、由利は思いを馳せる。
「その中から、大切に思える人を見つけ出すんだよ?」
 初夏の風が少女の髪に触れ、立ち去る。それに促されるかのように、二人の視線が交わった。
「不思議だよね?」
「波田さんは……」
「ん?」
「見つけたの? 大切な人……」
「……うん」
 時間が止まったような静寂。やがて時が溶け出すまでに二人が感じた時間は、実際に流れた時間よりも幾分か長かった。
「……見つけたよ」
 それは、とても優しい顔。誰一人として名を知る人間がいない群集の喧騒も、重い灰色の空とこれからの天気を予兆するような湿った空気も、そして祐樹の心も包み込んで暖かくしてくれるようだった。
「……祐樹君は?」
「僕は……」
 少年は口を閉じ、次の言葉を探し始める。少女はそんな彼の様子を静かに見つめ、再び声が紡がれ始めるのを待った。
「大切な人は、前からたくさんいるけど……最近、また増えたよ」
「どんな人?」
「どんな、って……」
 祐樹は一瞬戸惑いの表情を見せ、まぶたを閉じる。やがて小さく息を吐き出した少年は、ゆっくりとした口調で少女の問いに答え始めた。
「まだ、よくは知らないんだ。その人のこと」
「出会ったばっかりなの?」
「そんなに時間は経ってないよ」
 と、祐樹は不意に苦笑いを見せる。それは無論、白々しい会話を続ける自分と由利に対する表情だった。
「知りたいんだ、その人のこと」
 一転して、真摯な顔。だが、その表情はすぐに和らぐ。
「どこに行く? これから」
「別にどこでもいいよ」
「じゃあ、それなら……」
 と、祐樹の声をさえぎるように由利の携帯電話が鳴り出した。
「あ、ちょっと待ってて」
 携帯電話の向こう側から聞こえてきたのは、少女の父親――波田英明の声。だが、その口調があまりにもいつもと違っていた。
「あ、お父さ……ちょっと落ち着いてよ、何言ってるのか……」
 電話の向こうで、英明が咳き込む。一分ほどかけてようやく落ち着きを取り戻した彼は、言葉を選びながらゆっくりとその事実を告げた。
「……え?」
 由利の顔から血の気が引く。訝しげに思った祐樹が心配そうな視線を向けるが、彼女は完全にそれを無視し、呟いた。
「……水崎さんが事故に……遭った?」