LIVE-on the way-6



 いつもこの場所でするのと同じように、女性は欄干に腰をかけ夜空を仰いでいた。月は誰かが乗れば折れてしまいそうなほどに細く、彼女の心情を象徴しているかのようだった。
「落ちても、助けないよ」
 指定席に座っている古馴染みに、たしなめるようにハインは声をかけた。それを気に留める様子を見せることもなく、フィリアは漫然と空を見つめ続ける。青年が溜息と共に女性の手を軽く引っ張ると、さしたる抵抗をするわけでもなく彼女は欄干から降りた。
「嫌な夢を見たから、気分転換にね」
 尋ねられるより先に、フィリアは自分がここにいる理由をそう話した。ハインが心配そうに彼女の顔を覗き込む。
「夢、って……」
「いつもの。だから、心配しなくていいよ」
 素っ気なく言ったフィリアの体を、何の予告もなくハインが抱きしめた。本来ならば小さくない動揺を喚起するであろうその行動も、今は束縛でしかなかった。
「……放して」
 短い抗議は、普段の彼女からは想像もつかない弱々しいものだった。それが生み出す不安感に抗うかのように、ハインの腕の力が無意識に強くなる。儚くも思える笑顔を浮かべて、女性は呟いた。
「もう大丈夫だから」
 その言葉を信じ、ハインは自らの腕の戒めを解いたが、フィリアは彼に寄りかかったままだった。
「……フィリア?」
 女性は、微かに泣いていた。
「……我慢しなくていいよ」
 子供をあやすように背中を何度も軽く叩きながら、ハインは言った。
「駄目……。ハインを守るって……決めたんだから……」
 ハインを押し退けると、フィリアは強くかぶりを振った。星を仰ぎながら瞳に残っている涙を乱暴に拭い、空を捉えたまま自らの意志を吐き出す。それは、鍵を失った戒めの鎖だった。
「私は、守らなきゃいけない。ハインも、子供たちも。そうじゃなきゃ……私には、生きてる資格がない」
 表情が崩れる。諦めの含まれた、苦笑いだった。
「私が夢を見るのは、きっと罰。だから、しょうがないの」
「罰って、あれはそもそも――」
 フィリアはかぶりを振る。ハインの声は呆気なく遮られ、女性の淡々とした吐露だけが続いた。
「私を許せないのは、私。他の誰が許したとしても、犯した罪はずっと私の背中にあるから」
「一生、背負い続けるつもりか?」
「死ぬまで苦しんで、それでやっと許されるものじゃないの?」
 フィリアは自分の手に視線を落とす。忌まわしさの象徴がそこにはあった。
「生きてずっと苦しむことしか……それしか、償いの方法なんてないじゃない」
「償うって……誰に対して? あいつは――」
「ハインによ」
 自分の名前を出された男性は、応えることができなかった。
「私がいなければ、ハインはここに来る必要がなかった。何も捨てなくてよかった。だから私は、償わなくちゃいけないの」
「僕は自分の意志でここに来たんだ。フィリアのせいなんかじゃないよ」
「……分かってる」
 足下を流れる水音が絶えることはない。それはあたかも、生まれ育った地を飛び出した日から途切れたことのない、贖罪の念のようだった。
「分かってるけど……それでも自分が許せない。……許したくない」
「自分を許せないのは僕も同じだ。フィリアを……救えなかった」
「……だからサイルに来たの? 私を救えなかったから、今ここにいるの?」
「いや、そうじゃないよ」
 ハインは足下の小石を川の中に投げ入れ、小さく息をついた。
「何も考えてなかったんだ、あの夜は。フィリアを一人にしてはおけなかったから、ついてきた。それだけだよ」
 もう一度石を投げ、彼は三日月を仰ぎ見る。物言わぬ月に語るように、声はゆっくりと紡がれた。
「償いなんて必要ない。そんなもの、望んでない」
「それじゃ、私はハインに何をすればいいの? ハインがサイルに来たのは私のせいなのに……」
 サイルに住む人間は、誰しもが何らかの「事情」を抱えている。それこそが、この地で生きている多種多様の人間の共通項であり、原則だと言えるだろう。そして、ハインはそれに当てはまらない、唯一の例外と呼べる存在だった。
 家族を失ったわけでもなく、誰かに蛇蝎のごとく忌み嫌われたのでも、何かから逃げ出してきたわけでもない。サイルを訪れるにふさわしい過去を、彼自身は持ち合わせていなかった。
「ハインはいつもそばにいてくれるのに……私は何もしてない……」
 俯いたフィリアを抱き寄せ、男性は深く息を吐き出した。
「生きてるよ、フィリアは」
「だから、充分だって言うの? 生きてるだけでいいなんて、そんなの逃げてるだけじゃないの?」
 ハインはかぶりを振り、
「生きてるだけでいいなんて言わない。フィリアはこのままじゃ終わらないって、信じてるから」
 安易に現状を受け入れれば、見栄えのいい慰めにはなるだろう。だが、一時しのぎを重ねていくことにどれほどの意味があるのだろうか。
「僕は僕の意志でフィリアと一緒に生きることを選んだ。だからフィリアも、自分のために生きなきゃいけないんだ」
「自分のため……?」
「僕がサイルに来たのは、自分のせいだとフィリアは思ってる。だけど、『あの日』以来……いや、出会ってから一度でも、そばにいて欲しいなんて言葉を聞いた記憶はないよ」
 男性は微笑む。その穏やかな表情に反発するように、フィリアの感情が高ぶった。
「でも、私がいなければハインがここに来る必要はなかった!」
「仮に――」
 ハインは欄干の上に座り、フィリアがそうしていたように月を仰いだ。
「僕とフィリアの立場が逆だったら、どうする?」
 返答がなかったのは、自分に差し向けられた質問の意味を女性が理解していないからった。
「僕がサイルに来る理由を何か抱えていて、フィリアが平和に暮らしていたとしたら、どうする? 誰にも知らせずに発ったはずなのに、故郷を出て最初の分かれ道に、フィリアがいるとしたら」
「……皮肉?」
 ハインが語ったのは、フィリアが生まれ育った地を離れた夜の風景そのものだった。無論、実際に分岐点に立っていたのは男性の方だが。
「そのとき、フィリアは僕を待ちながら何を考えてると思う? 『あいつのせいで面倒なことになった』か、それとも『どうして私はこんなところにいるんだろう』か、そうじゃなかったら――」
「そんなこと!」
 聞き慣れた声を遮り、フィリアは男性を見据えた。
「そんなこと、思わない……。だって、それはきっと……自分で決めたことだから」
 二人が故郷を離れたのも、今日のように普通の夜だった。誰かが産まれる前にも、誰かが死んだ後にも繰り返される、決して記録されることのない時間でしかなかった。
「何も思わなかったよ。フィリアを待ってるだけだった。まさか僕が被害者呼ばわりされるなんて、想像すらしなかったよ」
「……ごめん」
 その謝罪の矛先がどこを向いているのか、発した本人ですら分からなかった。それでも、今のフィリアにはそうすることしかできなかった。
「ごめんなさい……」
「後悔してないから、いいよ」
 闇は、人の心を映す。穏やかであればその静寂は人に静寂を与え、荒れていれば漆黒は孤独への入り口となる。二人が黒色の向こうに見ていたのは、無自覚のうちに心の奥に追いやった微かな不安だった。
「自分が間違ってるって思ったことはないの?」
 男性はかぶりを振り、自嘲とも解釈できる微笑みを浮かべながら答えた。
「ないよ。正しいと思ったこともないけどね。でも、それでいいんだ」
 月を見上げる。そしてハインが続けた言葉は、空に浮かぶ剣に対して紡いでいるようだった。
「正しく生きることに、大した意味なんてないんだから」


「しかし実際、驚いたよ」
 グラスを拭きながら、ルーンは話を切り出した。
「何がだ」
 何をするわけでもなく棚に並べられていたグラスを漫然と眺めていたセムは、その視線を動かさないまま先を促した。
「お前さんのことさ、セム」
「俺?」
 少年の瞳に、軽い疑念の色が生まれる。ルーンに驚かれる理由はないはずだ。
「アミスさんだよ。あんなに他人を気にするセム・ファーイは初めてだからな。驚くなって言う方が無理だ」
 目の前に置かれたティーカップがくゆらせる湯気越しに、少年はルーンに尖った視線を投げつけた。
「俺が他人に入れ込んだら悪いか?」
「まさか。で、仲良くやってるのかい?」
「まあ、それなりには」
 と、セムはカップの中身を飲み干し、
「それより、ルーンは再婚する気はないのか?」
「こんな丸い男を相手にしてくれる人なんているわけないだろう? そもそも、その気がないしな」
 ルーンの背後、多くのグラスが並ぶ棚の左端に、小さな一枚の絵が飾られていた。少年の前で穏やかにグラスを拭く男性によって描かれた、一人の女性の肖像画だった。
「もう五年になる。本当なら気持ちを整理しなきゃならないんだろうが、私は彼女を愛しているのでね。どうにもならんよ」
 ルーンの妻――ユアは、夫よりも十歳も若かった。だが、彼女は病に倒れた。その原因すらも分からない、不治の病。夫は運命を覆そうと奔走したが、果たして彼女は逝った。それが、五年前の春。
「独り身のまま年老いて死ぬことも、悪くはない。もっとも、ユアには叱られそうだがね」
 セムは何も言わず、ルーンの言葉に耳を傾けていた。もう何度目になるか数えようもないほど聞いた彼の過去を、未だに聞き飽きてはいなかった。
「それでもユア以上に愛せる人などいるはずがないし、現れて欲しくないとも思っている。だから今のままでいいんだ」
「いい人だったんだな」
「……ああ」
 微かに頷いて、最後のグラスを棚に置く。いつもそうしているように、妻の肖像画の右隣へと。
 応えることはない手作りの遺影に向かって、ルーンは声をかける。セムはそれを聞かないように席を離れ、窓の外に意識を向けた。
 見慣れた風景の中を、知った顔が駆けている。と、セムを見つけたフィリアが進行方向を変えた。
「セム君っ」
 飛び込んできたフィリアは、息を整える前に少年の名を呼んだ。
「どうした」
 フィリアの様子が尋常ではなかったからこそ、セムは冷静であろうとした。だが、続いた言葉がいとも簡単に彼の意志を壊した。
「異形が――」
 最後まで聞かないうちに、セムは店から飛び出していた。フィリアに声を投げつける。
「どこだ!?」
「街の入り口に……」
 今度はセムが走る番だった。自分が丸腰であることに気付いた彼は、小さくなった人影に向かって叫ぶ。
「俺の剣、頼む! 他の連中が外に出ないようにも言っておいてくれ!」
 寂れた酒場から徒歩で十分ほど行ったところに、サイルの住人が「入り口」と称している場所がある。終わりのない競い合いをしているかのように、空に向かって伸びている二本の木。誰もその樹齢を知ることのない双子の大木――いつからかそう呼ばれるようになった――は、期せずしてサイルの門の役目を果たしていた。
 その「門」の先に、一人の男性が立っていた。年齢は大体二十五歳というところだろうか。見かけない顔ではあったが何の変哲もないはずの男に対して、何故かセムは警戒心を抱かずにはいられなかった。
「お前は?」
 訝しげに問うたセムに、男は反問した。
「ここに力を持つ人間はいるか?」
「……力?」
「手合わせを願いたい」
 低い声で男が言う。セムは小さく息をついて、男の申し出を一蹴した。
「悪いが、そんな暇はないんだ。それよりも、この辺りで異形を見かけなかったか?」
「……お前が力を持つ者か?」
「ああ。それよりも――」
「お前の目的としているのは、私だ」
 その声と共に、強い殺気がセムを襲った。男の瞳に宿る邪な光を見据えたまま、彼は飛び退いた。
「我が名はシグアス……」
 名乗りに続くように、シグアスの言葉が紡がれる。だが、それまでよりもさらに低い声を聞き取ることはできなかった。
「土精叫歌」
 唐突に明確になった言葉に無数の石が応じ、弾丸となった。
 礫は微動だにしないセムの両脇を通り過ぎ、最後の一つが頬を掠める。
「……同種類、とはな」
 顔を伝う血を拭い、セムは地面を蹴る。一瞬で間合いを詰め、振り下ろした拳が呆気なくシグアスを捉えた。
「セム!」
 ハインが鞘ごと放り投げた剣を片手で掴み、飛び退く。
「どうしてお前が?」
「こんな危険なこと、フィリアには任せられないですからね」
「正論だ」
 剣を抜き、セムは構える。不敵な笑みを浮かべる敵を見ながら、ハインは言った。
「厄介そうですね」
「俺にとってはそれが普通だからな。お前も安全な場所にいろ」
 セムは大きく息をつく。シグアスが動いた。
「土精叫歌……」
無数の礫が一直線にセムを襲う。少年が無表情に剣を横に振ると、全ての石が砕け散った。
「……風精叫歌」
 無数の風の刃が、セムの肌に無数のかすり傷を作る。金属の衝突音が響き、弾かれるように両雄が退いた。
 再び地面を蹴り、シグアスに斬りかかる。短剣でセムの武器を受け止め、男は唇の端を吊り上げた。
「風精凶歌」
 少年の体が後方に吹き飛ぶ。男の低い声が、わずかの抑揚を伴い辺りに響く。シグアスが詠唱を終えるのと、セムが体勢を立て直すのはほぼ同時だった。
「……土精叫武」
 シグアスの手にしている短剣の刀身を、岩石が覆っていく。やがて男の持つ得物が、硬い岩の棒に姿を変えた。
 自らの舌打ちを合図として、シグアスの懐に飛び込む。横に薙がれた剣が即席の棍棒で受け止められ、跳ね上げられる。そのまま振り下ろされた打撃武器を紙一重でかわし、男の腹部に蹴りを叩き込んだ。
「我が剣が纏いしは氷の衣――」
 氷に包まれた諸刃の剣が、岩の固まりに打ちつけられる。二人の動きが止まり、セムの声だけが続いていた。
「彼の剣が纏う鎧を破るのは、数多の風の牙」
 シグアスの剣が激しく音を立て、刃を覆っていた岩が砕け散る。男の肩に氷の剣で殴り、続けざまに脇腹を力任せに叩いた。男の表情は変わらず、その口からは意味の分からない声が紡がれている。自らの剣に施した装甲を解除し、間合いを取るために地を蹴ると同時に、男の言葉が一瞬途切れた。
「水精叫武……」
 シグアスの短剣に、水の帯が巻き付く。その腕を振った瞬間、水の帯がしなりながら伸び、セムの足下に転がる小石を破壊した。
 水の鞭はセムを襲い、その目前で両断された。砕けた水が土に吸い込まれ、シグアスの得物には変わらず蛇がまとわりついている。少年は舌打ちをし、虚空に生み出した炎の塊を投げた。炎は水に絡め取られ、消滅する。不定形の武器は少年の腕に絡み、その体を地面に叩きつけた。
「水……そのす……がた、を……」
 鞭はセムの首に巻きつき、絞めつける。
「変え……ろ」
 少年の息を止めるものが凍りつき、崩れ落ちる。セムは激しく咳き込み、巨大な門柱にもたれかかった。
「……水精凶武」
 短剣を氷が覆い始める。セムと違うのは、刃が覆い尽くされても氷が増え続け、やがて全く異なる武器を形成したことだった。
「鞭の次は、槍ってわけか」
 氷の槍が空を切る。宙を舞っていた木の葉が、二つに分かれた。長剣の刀身が、音もなく炎を纏う。
風に誘われた双子の巨木が騒ぎ、氷と炎が衝突した。交差する武器から水蒸気が発生し、視界を遮るかのように風景が白く染まっていった。
「――たし、を――」
 氷の槍が長剣から離れ、唐突に力の均衡が失われる。セムが体勢を崩したその一瞬を冷たい切っ先は見逃さず、少年の胸を浅く通り過ぎた。
「――せ」
 左手を胸に当てて、出血量を確認する。致命傷ではないが、長時間の戦闘は避けたかった。
「私を……」
 続けざまに突き出された槍をかわし、シグアスの動きが止まった刹那、その得物を蹴り上げる。体勢を戻すより先に、セムが呟く。
「……撃ち抜け」
 次の瞬間、収束された炎がシグアスの手を貫いていた。槍が落ち、氷は液体となり地面に吸い込まれる。短剣は持ち主だった者の血に濡れ、男の顔は未だ変わっていなかった。
「まだやるか?」
 シグアスは自分の武器を拾おうとはせず、血が流れ落ちる手を高く掲げる。
「我が血を以て、刃を成せ。その禍々しき牙は、裁きを成す。終焉は常に、禍と共に。問い質すは、正しさにあらず。答は、力が知る。我が血は、過ちの力」
 血が固まり、剣へと姿を変えていく。
「牙血狂禍」
 全ての音が止まる。真紅と銀の刃が交わり、赤い剣は呆気なく砕け散った。
「終わりだ」
 シグアスの目前に得物を突きつけ、セムが告げた。
「……私を殺せ」
 自らの死を望むシグアスの声に、動揺の色は一切なかった。
「断る。お前を殺す理由がない」
「理由ならある」
 セムを見据えながら、男が言った。
「お前が私を殺せる唯一の人間だからだ」
「どういう意味だ?」
 シグアスは短剣を拾い上げ、微塵のためらいも見せずに自分の腕に突き立てた。
「……こういうことだ」
 刺したときと同じように、一つの躊躇もなく刃物を引き抜く。その肌に血が流れることはなく、少しの傷も存在していなかった。
「私に傷をつけられるのは、お前だけなのだ」
「お前は一体……」
「人間だ。少しばかり長く存在してはいるがな」
「長く……?」
「四百年と少しだったか……。ずっと前に数えるのをやめてしまったから詳しくは覚えていないが、大体そんなところだ」
 シグアスが自分の台詞の意味を知らせるために口に出した言葉は、少年の疑念をさらに深める結果を導いた。
「……そんな話を信じると思っているのか?」
「信じなくても構わん。私が望むのは、死だけだ。……私を、殺せ」
「死にたければ他に行くんだな。無意味に自分の手を血に染める趣味はない」
 シグアスの申し出を一蹴し、セムは双子の片割れに背中を預けた。
「ここは、死を望む人間は受け入れない場所だ。たとえ、気の遠くなるような時間を生きてきた人間だろうと、それは変わらない」
「私が、すでに死んでいるとしてもか」
 セムの眉が微かに動く。シグアスは自らの生命を終わらせるために、抑揚のない言葉を続けた。
「お前は以前にも、朽ちた骸と戦ったことがあると聞いた。再び永遠の眠りにつかせたとも。ならば、何故私を殺すことはできないのだ」
「奴らは肉が腐り、自我も失っていた。誰がどう見ても、生きていないことはすぐ分かる。だが、お前は違う。見ただけでは、死んでいるとは分からない。第一、お前の言葉が偽りでないという証はどこにもない」
「見てくれが人の形を成していなければ殺すことも厭わないが、そうでなければ殺せないと?」
「ああ」
 頷き、少年はシグアスの顔を見据えた。その表情から読み取れる感情はなかったが、死人の心を見透かしたかのようにセムは短く呟いた。
「不満そうだな」
「……私の身が崩れていれば、お前は私を殺したか?」
「だろうな」
「それが正しいと? お前の正しさはそんなものか? 同じ――」
「『同じ死人であるにも拘わらず、見た目だけで殺すか否かを決められるのか? 同じ存在を、どうとでも変わりうる要素だけで別のものとして扱えると?』――そんなところだろう、お前の言わんとしていることは」
 シグアスの言葉を奪う形で引き継いだセムは、小さく息をついた。
「同じ死人だとしても、奴らは化け物でお前は人間だ。お前がどう思おうとも、それが俺にとっての正解だ。人間を殺すのは夢見が悪い。化け物を――かつて人であった存在を眠らせるのに、良心が痛むはずはない。それだけのことだ」
「お前は……間違っている」
「そうだとしても、お前の死を看取る気などない。消え去れ」
「永き孤独を終わらす死神をようやく見つけたのだ。力ずくでも……」
 またも、内容を判別できない詠唱が始まる。だが、今度はそれが終わる前に、少年の拳によって男の体が地面に叩きつけられていた。
「お前は、負けたんだ」
 大の字に倒れ、わずかも動かない男に宣告を落とす。
 風と葉の声に紛れて、嗚咽が空気に消えていった。