雪のカイロ−7



 チャイムが鳴る。それと同時に、クラス中が安堵の息をついていた。
「じゃ、後ろから集めてきて」
「これで全部終わり――って、風野さん?」
「終わった……別の意味で……」
 風野は放心していた。その理由は彼女自身の言った一言で分かるだろう。
「大丈夫……じゃないね」
「そっとしといて……」
「じゃ、俺、部活に行くから」
「ホームルームとかないの……?」
 疲労困憊の顔で尋ねる風野に、水井は苦笑混じりに答えた。
「ないよ。じゃ、また明日」
「頑張ってね……」
 風野の声に背中を向けたまま水井は応え、教室をを出ていこうとした。だが、その足があと一歩のところで止まる。
「……何の用だ、黒井」
 水井の視線の先には、下卑た笑みを浮かべた黒井貴明が立っていた。
「頑張ってるかと思ってさ。弱小音楽部の皆さんは」
 黒井の嫌味を、水井は気にすることなく返す。
「ああ、やってるさ。少なくともお前と無駄な会話を交わしてる時間がないくらいはな」
 それだけ言うと、水井は黒井を無視してその場を立ち去ろうとした。
「そういえばお前の部、新入部員が入ったんだって?」
 水井の動きが止まる。その反応に調子づいたのか、黒井はさらに言葉を重ねる。
「何でも喋れない子だってな。お前らの部にはお似合いじゃないか」
「……どういう意味だ」
 水井は自分の拳を血が出そうなくらい強く握りしめていた。自分の感情を抑えるつもりなど微塵もなかった。
「声の出ない人間のやる音楽ぐらいが、お前らの貧相な音にはお似合いだってことさ」
 水井が自分の拳を動かすより早く、嘲笑う黒井の横顔に誰かの遠慮のない蹴りが入っていた。
「風野さん……?」
 倒れた黒井のそばに、怒りを露わにしている風野が仁王立ちしていた。一部始終を目撃していた人間を中心に、廊下がざわつき出す。
「誰、この馬鹿」
「黒井貴明。母親がPTAの会長やってる」
「馬鹿息子の典型って感じね」
「ああ。けど――」
 言葉が途切れる。その視界の端に、見慣れた小柄な少女がいた。
「……玲」
 一瞬だけ、音が消え失せたような気がした。複雑な表情を浮かべた玲は視線を廊下に向かって落とし、逃げるように走り出した。
「玲!」
 少女の姿はすぐに見えなくなる。いつの間にか雨が降り出していた。
「真琴、祐也! あとのこと頼む!」
 騒ぎに気付いて教室から顔を出していた二人の幼なじみにそれだけ言うと、水井も走った。
 階段を駆け下り、何人かにぶつかり、傷ついた少女を追いかける。強くなっていく雨の中に玲を見つけた水井は、傘をさすこともなくそのままの靴で雨の中に飛び出した。
「玲!」
 その声も雨音にさえぎられて届かない。自分の体を打つ冷たい雨が制服に重さを加え、水井の体力の消耗を早くする。
「玲!」
 追いかけることしか水井にはできなかった。追いついてからのことは頭になかった。ただ、玲を放ってはおけなかった。
「玲……」
 声が掠れてくる。少しずつ近づいてくる少女の背中だけが、水井の足を止めずにいた。
「追い……ついた」
 玲の前に回り込んで、彼女の両肩に手を置く。少女はそれに抵抗し、そしてあっさりと逃れた。
「玲……俺、もう……追えない……」
 肩で息をしながら、途切れ途切れに声を絞り出す。当然、大きな声は出せない。
「意外と……体力あるな……」
 玲もその場で立ち尽くし、動こうとしなかった。金縛りにあったような少女の背中に、水井は届くかどうか分からない声を吐き出す。
「ごめんな……。俺……玲のために何も、してやれない……」
 謝罪しかできない自分が情けなかった。逃げる玲を止められない自分を、思い切り殴りつけてやりたかった。
「ごめん……」
 少女はまだ振り向かない。微動だにせず、残酷なほど冷たい雨に濡れ続けるだけだった。
「……」
 水井もまた、その場に黙って立っていた。街並みを叩く雨音だけを背景にして、いつ訪れるかも分からない「次」を待っていた。
 シャボン玉。水井の頭の中には、何故かそれが浮かんでいた。
 無数の球体が、童謡の歌詞を再現するかのように屋根に向かって飛んでいる。だが、一つとして目的地まで到達するものはなく、どれも弾けて消えてしまう。
 その情景に、玲が重なった。
 小柄な少女が、いつもより小さくなっていた。それはまるで硝子細工のようで、だからこそ水井には何もできなかった。
「玲……聞こえてるか……?」
 反応はない。それでも水井は、言葉を紡ぎ出す。
「俺には……何にもできないけど……。玲がどんなに辛くても、悲しくても、こうやって……追いかけるぐらいしかできないけど……」
 何を言いたいのか自分でも分からなかった。ただ、意識よりも先に口が動いていた。
「でも……玲には泣いてて欲しくないんだよ。俺だけじゃない、みんなそう思ってるから……」
 降りしきる水のカーテン。暗く、重い空。何もかもが、空気を悪い方向へと導いているようだった。
「勝手だって分かってるけど……でも……」
 続かない声。吐露すべき感情は、言葉で表現できるような形を成していなかった。もどかしい気持ちだけが、そこにあった。
「でも……」
 少女と知り合って、まだ一月と少ししか経っていない。けれど、彼女は周囲の人間に驚くほど多くの「雪谷玲」を見せていた。
 何が彼女を支えているのかは分からない。音楽も確かにその一つではあるだろう。だが同時に、その一つでしかないのだ。
 声を持たない少女。それでも玲は笑っていた。大多数の人間がコミュニケーションの道具として使っているものを所有していなくても、彼女は言葉を知っていた。伝えることを、他人と関わることを、恐れてはいなかった。だから水井は、彼女のことを強いと思った。
 だが、強いことは傷つかないことではないのだ。事実、玲は強いのだろう。けれど、だから泣かないわけではない。いつでも笑っていられるわけではない。本当に強い人間は自分を偽らず、様々な苦しみに対峙することができるのだ。だから玲は、今ここで雨に打たれているのだ。
「玲は強いんだな……。俺、自分が辛くて泣いたことなんて一度もないよ……」
 水井はゆっくりと歩き出す。うつむいている玲の前に回り込むと、ほんの少しだけためらったあと、少女を抱きしめた。
「大したことできないけど、それでも俺にできること、何かないかな……?」
 それだけを言って、玲を自分の体から遠ざける。何が起きたのか把握しきれずに、呆然と自分を見つめている後輩に、水井は照れ笑いを見せた。
「意外と恥ずかしいんだな、こういうことって」
 やっと自分がされたことが理解できたのか、今度は顔を真っ赤にして玲はうつむいた。
「とりあえずさ、学校に戻ろう。みんな心配してると思うし」


「ほら、タオル」
 体の芯まで冷え切った二人を、森原と雨崎、それに風野の三人が出迎えた。投げ渡されたタオルを玲の頭にかけ、それから自分の頭を拭く。
「また、派手に濡れたな。着替えた方がいいんじゃないのか?」
「教室にジャージが置いてあるから、それに着替えるよ。玲は?」
 首を横に振る。学校には置いてないという意味だろう。
「私の貸すよ。玲ちゃん、教室に行こう」
 教室に移動するまでの間、誰も何も言わなかった。屋外で耳にするよりも少しくぐもった感じの雨音と足音だけが、その場に存在していた。
「――ねえ、水井君」
 教室に入って少し経ったあと、風野がうつむきながら呼びかけた。
「私のしたことって――」
 水井はいつもより落ち込んでいる風野の声をさえぎるように、おどけた調子で言った。
「出てってくれると嬉しいんだけど。これから着替えるから」
「あ、ご、ごめん」
 風野は慌てて部屋から出、ドアを閉めた。水を含んでいつもより重くなったブレザーを脱ぎながら、壁越しに水井は問い返す。
「で、何?」
「私のしたことって、間違いだったのかな」
「風野さんが黒井を蹴り倒したこと?」
「うん……」
「正直、驚いたけどね」
 上半身に着ているものを全て脱ぎ捨て、改めて体を拭きながら答えを続ける。
「間違ってたかどうかは俺にも分からないよ。ただ、風野さんが蹴らなかったら間違いなく俺が殴りかかってた」
「何言ったんだ? 黒井の奴」
 風野のそばにいる森原が、まだ全てを了解していない声音で尋ねる。
「……答えたくない。思い出すだけで腹が立ってくる」
「私が言うよ。実はね――」
 風野が説明している間に、水井が着替え終わる。濡れた衣類をそれまでジャージが入っていた袋に押し込んでいると、事情を全て知った森原が怒気混じりの声で言った。
「確かにそれだったら殴るよな」
「でも……玲ちゃんはそれを望んでなかった」
 水井は教室の外に出て、空を見上げる。一向に雨がやむ気配はなかった。
「良識的な判断からすれば、人を殴るなんて行為は歓迎できることじゃない。けど、今回は特例だよ。あんな言葉が許されていいはずはないから」
「でも……」
「あの状況じゃ誰にとっても最良の結末って無理だよ、きっと」
 そう言ったのは雨崎だった。誰もが聞きたいことを先回りして答える。
「玲ちゃん、少し一人にしてって。ここだと聞こえるから、教室の中で話そう」
 四人は水井の教室へと入る。森原が後ろ手にドアを閉め、それが合図であったかのように雨崎が口を開いた。
「玲ちゃんが風野さんのしたようなことを望んでなかったのは事実。だけど、あの場で黙ってろっていうのも風野さんや和樹には酷だった。そうだよね?」
「でも……何もあそこまでしなくても、他の方法があったような気がするの。だから……」
「玲ちゃんを知ってる人だったら」
 一旦言葉を切る。雨崎は授業中ならば教師がいる場所に立ち、教壇に両手をつきながら言った。
「あんなこと言われたら、誰だって頭に血が上ると思う。私だって……」
 雨崎は思い切り黒板に拳を打ちつけた。予想していなかった大きな音が教室内に響く。
「はっきり言って怒ってるから」
「あの場で理性的なリアクションなんて無理だったんだ。あの台詞を受け入れられる人間の方が、よっぽど悪だよ。――そういえばあのあと、どうなったんだ?」
「一応倒れた黒井を先生方で保健室に運んでって、それからあいつの母親が来て色々とわめいてた」
「息子をこんな目に遭わせた奴なんて退学だ、とか何とか……」
「退学……」
 三人の心配そうな視線を、風野は苦笑で受けていた。
「やだ、私は平気だってば。それにあんな発言が通用するような学校なんて、通う価値ないもの」
「そりゃ、まあ……。けど、驚いたよ。あんなハイキック、どこで――」
「ハイキックぐらい、できて当然だよ」
 水井の台詞を奪う形で口を開いたのは、何かを納得したような顔をしている森原だった。
「覚えてないか? 俺がこの間、風野里美って名前が引っかかるって言ったこと」
「それが何か?」
「あれ、気のせいじゃなかったんだ。風野さんは去年、空手の全国大会で優勝してるんだよ」
「そう……なの?」
「うん。別に隠してたわけじゃないんだけど……」
「それじゃ、風野さんに蹴ってもらって正解だったんだ。俺が殴るより効果あるからな」
「本当は試合以外じゃ人を殴っちゃいけないんだけどね」
「だから、今回は別だって。それはそうと……さ」
「玲ちゃん?」
 水井は複雑な表情のまま頷き、玲のいる教室の方へと視線を向けた。
「どうして玲があそこから逃げ出さなきゃならなかったのか……。それを考えると、軽率な行動はできないよな」
「私のせい……なのかな」
「違うよ」
 風野の自責の感情を、水井は一蹴した。
「玲があの場所から逃げ出したのは、自分のせいであんな騒ぎが起こったと思ったからだよ。もちろんそれだって見当違いだけど、でも、玲の気持ちは分かるような気がするな……」
 天井を仰いで、水井は溜息混じりに言った。どうしようもない種々の感情を空気に吐き出して、少しでも軽くしようとしているようでもあった。
「客観的な事実として、玲は障害者なんだ。だから、俺たちみたいに身体に障害がない連中に比べれば、周囲に迷惑をかける可能性ってのはいくらか高いはずだ。例えば部活で遅くなったときに家まで送っていったり、他人の言葉にすぐ反応ができないとかね。でも、そういうことを迷惑だって思ったこと、一度でもある?」
 他の三人の顔を見渡す。無論そこに、肯定の色は少しも存在しなかった。
「そういうことだよ。相手が迷惑だと感じなきゃ、本人がどう思おうと迷惑じゃないんだ。けど、たぶん玲はそのことをいつでも気にしてたんじゃないかな。自分自身は少しも悪くないのに。……そして、そういう玲の優しすぎる部分が全てマイナスに働いた結果が今回だった。でも、あの馬鹿息子を除けば、誰が悪いわけでもないんだよ、もちろん風野さんも含めて。第一、誰に責任があるかなんて考えたところで、何かが変わるわけじゃない」
「でも……玲ちゃんが責任を感じて苦しんでるのが現実……よね」
 風野の言葉は、反論のしようがない客観的事実だった。自分たちがどう思っていようと、それは玲に届いていないのだ。心の中にある真実だけで話を進めても、それが何らかの有効な意味を持つはずもない。
「私にできることって、何かないの……?」
 自問する雨崎の声は、悔しさに満ちていた。自らの問いかけに対する答えが、全く見つからないのだ。
「こんなときに何もできなかったら……私のいる意味なんてないよ……」
「真琴」
 水井は呼びかけると、顔を上げた幼なじみの頬を触るよりほんの少しだけ強く叩いた。雨崎だけでなく、他の二人も一瞬何が起きたか分からず呆然とする。
「悪い、真琴。――何ができるのかは俺にも分からないよ。だけど、しちゃいけないことは分かる。今の真琴や風野さんみたいに、自分を責めちゃいけないんだ。自分が原因かも知れないとか、玲に対して何もできないとかって理由で自分自身を追いつめていって、最後に一番苦しむのは誰だと思う?」
 誰も答えなかった。答えられなかった。
「全てを突き詰めれば、結局は玲がその先にいるんだよ。他人を気遣うあまりにすぐ自分に責任を感じる、優しすぎる女の子がね。第一、自分を責めたっていいことなんて一つもないだろ? それは明らかに反省とは違うものなんだから」
「だけど……実際、私は何もできないんだよ。そんな自分を受け入れるなんて……」
「受け入れる必要はないんだよ」
 水井の予想外の否定。それは雨崎の表情を和らげるための詭弁ではなく、主張できるだけの根拠が存在していた。
「そもそも、玲に対して何もできない真琴なんて最初からいないんだ。ないものを受け入れられるわけないだろ?」
「でも、実際に何もできないじゃない!」
 雨崎の声が思わず荒くなる。それに対する水井は、場違いなほど冷静だった。
「じゃあ聞くが、部活で玲と楽器を演奏したり、玲の家まで一緒に歩いたりした時間は真琴にとって何だったんだ? 玲に何もしてやれない――言い換えれば、玲に何もしてやってないって思ってるんだったら、お前にとって玲との時間は何の価値もないってことなんだな?」
「それは……」
「違うんだったら、そんな風に考えるなよ。確かに今の俺たちは玲に何をすればいいか分からない、情けない連中かも知れないけどさ。だけど、玲との思い出は夢でも幻でもない、れっきとした現実なんだよ。まあ、その現実すら否定したいんなら、俺はもう反論しないけどね」
「うん……。ごめん、和樹」
「さて、それよりもだ」
 手を二度叩いて、森原は自分に視線を向けるよう促した。
「どうするんだ、雪谷さんのこと。放っとくわけにはいかないだろ?」
「それは水井君じゃない? 雨の中追いかけたんだし」
 指名された水井は、さも意外そうな顔で、
「俺一人?」
「うん。一人の方が何かといいことってあるでしょ?」
「でも、俺じゃ逆効果だと思うんだけどな。玲、ますます暗くなるぞ。俺にも迷惑かけたって思ってるだろうから」
「だからこそ、そんなことないって言ってあげられるのが水井君なのよ」
「言って、納得するか……?」
 到底無理なような気がした。滝のような雨の中を走ったのは、紛れもない事実なのだ。それをどう解釈するかは個々人の問題であり、水井が何かを言ってその解釈を変えさせるのは難しいことなのだ。
「でも、私と祐也にできると思う?」
「風野さんと俺以外は厳密な意味での当事者じゃないから、無理だろうな」
 当事者と呼ばれた風野は困惑を隠さず、
「わ、私?」
 と、自分の顔を指さした。
「当事者は当事者だろ? だからって、責任が風野さんにあるとか言うつもりはないけど」
「私、玲ちゃんを納得させられる自信ない」
「大丈夫、風野さんの行為に関しちゃ俺も自信ないから」
 水井はそうおどけながら言い、真顔に戻って続けた。
「黒井の馬鹿が許せない発言をして、風野さんはあの馬鹿を蹴った。玲にとって一連の出来事は、『自分のせいで誰かが蹴られた』ってことになるんだよ。黒井の言葉に傷つくわけでも、風野さんを非難するわけでもない。全ての責任は自分の存在そのものにあるって、きっとそう思ってる」
 でも、と呟いて水井は無機質な天井を見上げる。
「そこで自分がいなければいいとか、玲は絶対に考えないんだ。自分でそう言ってた。誰も非難しない、どこに逃げるわけでもない。それが玲の強さであり弱さなんだろうけど……」
 浮かぶのは少女の笑顔。純粋なその表情は、いつも途切れることはなかった。たとえ一時的であれ、それが玲から消えることはありえないと勝手に思い込んでいた。今からすれば、そんな風に考えていた自分が腹立たしくさえあった。
「それは玲にはひどく残酷なものでもあるんだよ。今回みたいなことがあるたびに、何らかの辛さを強要するんだからな。だけど、それが玲には必要なときだってある」
「でも、今回は必要のないものなんだろ?」
「九割は。だけど、全てが必要なかったとは言えないと思う。もっとも、その取捨選択は玲自身がやることであって、俺らが口出しできることじゃない」
「だから、放っておけとでも?」
「どうしてそうなる、祐也」
「いや、だってお前、雪谷さんのところに行くのが嫌で話を引き延ばしてるみたいだから……」
「あのなあ……。俺がそんな人間に見えるか?」
「ああ」
 森原は遠慮なく肯定した。もっとも、否定するはずがないことは最初から分かっていたが。
「というわけで、話はもう終わりな。俺たち先に帰ってるから」
 そう言うとすぐ、森原は教室を出ていった。廊下に響く足音が次第に小さくなる。
「今さらだけど、一人で大丈夫?」
 雨崎への返答に、水井は精一杯の皮肉を込めた。
「本当に今さらだな。真琴らしいよ」
「どういう意味よ、それ」
「そのままだ。ほら、とっとと出ていけ」
 雨崎を追い出すようにして帰らせると、複雑な表情を浮かべて立ち尽くしている風野に視線を向けた。
「ごめんね、私が言い出したばっかりに……」
「風野さんが言わなくたって、同じ結果にはなってたよ。それに俺だって、あのままの玲なんて嫌だしさ」
 笑顔で風野の言葉を打ち消した水井は、窓の外に視線を向けながらいつかの玲を思い出していた。
「前に玲が言ったんだよ。雨は虹が見られるから好き、って。俺の役目って、きっとそのときの玲を取り戻させることだと思うんだ」
「……できる?」
「難しいよ。最終的な結論を出すのは玲自身でしかないし、俺にできることなんてたかが知れてるしね。だけど、やれるだけのことはやってみる。これで結構あきらめ悪いからね、俺って」
 水井は冗談半分に笑ってみせる。そこにほんの少しだけの、けれど確かな自信が垣間見えた。