プロローグ いつも通りのチャイムの音。仲井真一の一日は、それに応えることによって始まる。 「今行きますよー」 真新しい制服に袖を通しながら、真一は玄関先へと向かう。そこにいるはずの、見慣れた顔を思い浮かべながら。 「よっ、と……」 靴をはき、玄関を開ける。やはり普段と何も変わらない、聞き慣れた台詞。 「おはよ、シン君」 「おう」 軽く手を挙げ、目の前の笑顔に応える。もう何度繰り返したか分からない仕草。 「今日から高校生だね」 「しかし、高校までお前と一緒とはなあ……」 と、真一は軽く溜息をつく。その言葉に、困惑と不安の入り交じった表情を水崎あゆみは浮かべる。 「あ……迷惑だった?」 「そんなわけないだろ。いい加減、俺らも腐れ縁だなって思っただけだよ。それに、お前がいたから受かったんだぞ、今の高校。迷惑なわけないって」 「あれは、シン君の実力だよ」 「買い被るな。そんなに頭、いいわけないだろ」 「そんなことないよ」 あゆみの否定の言葉を、真一は笑顔で打ち消した。 「そんなことある。……というわけで、これから先も専属家庭教師、よろしくな」 「うん」 あゆみは嬉しそうに頷き、謙遜するような口調で続けた。 「でも、私なんかでいいの?」 真一はその質問に、少し照れくさそうな表情で、呟くように答える。 「あゆみでいいんじゃなくて、あゆみじゃなきゃダメなんだよ」 「え……」 「ほら、お前以外の奴だと余計な気遣いしなきゃなんないだろ? あゆみだったら、その必要ないから」 「そ、そうだよね」 幼なじみの言葉に小さな期待を抱いていたあゆみは、拍子抜けせずにはいられなかったが、しかしその感情はすぐに消え去ることになった。 「それに……あゆみと一緒に勉強するのって楽しいから、だからあゆみがいいんだよ」 「わ、私だってそうだよ」 それだけ言うのがやっとだった。それ以外の口にしたい台詞は、全て感情に阻まれて声にならなかった。 「……何かやっぱり、こういうやりとりって恥ずかしいもんだな」 「うん……。ねえ、シン君」 「何?」 「前から聞きたかったんだけど、私、シン君といつも一緒にいてうっとうしくない?」 あゆみの意味がつかめなかった真一は、思い切り訝しげに聞き返した。 「は?」 「だから……迷惑なんじゃないの?」 真一は呆れ果てた表情を見せて、多少強い語調で逆に尋ね返した。 「俺がいつ迷惑だなんて言ったんだよ」 「だって、私いつも一緒で、うんざりしない?」 「あのなあ、あゆみ。お前、俺がうっとうしいか?」 思い切り首を横に振り、心底から否定する。 「だろ? 俺だって同じだよ」 「でも……」 「第一、うっとうしかったらお前と一緒にこうして歩いてるわけないだろ? 少し、自分に自信持った方がいいと思うぞ、あゆみは」 そう言ってから真一は軽く息を吐くと、苦笑いを浮かべた。 「まあ、あんまり俺のことは気にしなくていいよ。それよりも、初日の朝から説教じみたこと言ってごめんな」 「ううん。気にしないで」 「とりあえずこれからも色々あるだろうけどさ、改めてよろしくってことで」 「こちらこそ」 と、二人は微笑みを交わし合った。それは、子供の頃から何も変わらない素直な表情だった。 第一章 素直な景色の中で 「おー、やってるやってる」 真一は学校の玄関前に張り出されているクラス発表のプリントに群がる人々を、さも愉快そうに見回した。 「こういう風景はどこも変わらないか。俺らも見に行くか、あゆみ」 「あ、うん」 まるでゾンビの群のようなその集団に向かいながら、真一が口を開いた。 「なあ、あゆみ」 「何?」 真一は少し間を置いたあと、呟くように、 「クラス、一緒になるといいな」 と、言った。よく知った少年の予想外の台詞に、あゆみは何の言葉も返せなかった。 「え……」 「何だよ、嫌なのか?」 あゆみは即座に、首を横に振った。 「う、ううん」 「じゃ、あゆみはここで待ってて。俺、見てくる」 と、人混みの中へ突入していった真一は、五分もしないうちに戻ってきた。新品の制服に多くのしわをおまけとして刻みながら。 「大丈夫?」 「ああ。で、クラスなんだけど――」 そこで一旦言葉を切り、不安そうな顔のあゆみに微笑みかけた。 「A組。あゆみ、お前もな」 「本当?」 「お前に嘘ついてどうすんだ」 「やったあ」 と、あゆみは子供のように無邪気に喜び、すぐに顔を薄赤く染めた。 「それじゃ、とっとと教室に行くか」 「うん」 真一は幼なじみの笑顔を見ながら、自分はどうなのだろうと考えた。少なくとも、あそこまであからさまに嬉しさを表には出せない。だが――。 「まあ、いいか。それは紛れもない事実なんだからな」 と、靴を先にはきかえ終えていたあゆみに聞こえないように、真一は小さく呟いた。 「――ねえ、シン君」 「ん?」 「この高校に、かわいい女の子っているかな?」 「何だよ、急に。まあ、何人かはいるんじゃないか?」 「だよね。シン君、楽しみ?」 微笑みながらの質問に、真一は訝しげに聞き返す。 「はあ? 何言ってんだ?」 「前々から思ってたんだけど、シン君ってそういうの興味ないよね」 「興味ないからな」 「変わってるよね」 「そうか? だったら、その俺の友達を十数年やってるお前だって充分変わってると思うけど」 あゆみは小さく笑いながら、 「そうかもね」 と、頷いた。 「しっかし、三階の一番端って……遠いよ。こりゃ、寝坊はできないな。お前にも迷惑かけることになるし」 「そんな、私は大丈夫だよ」 「そうは言うけど、俺に付き合ってたせいでお前まで遅刻したら悪いだろ?」 「気にしてくれてるんだね」 「そりゃな」 と、真一は素っ気なく相槌を打ったが、あゆみはそれだけで嬉しかった。 「――やっと着いた。学校が広いってのも考えもんだな。今度、もうちょっと狭くするように言ってみるか」 と、冗談めかしながら教室に入る。そこで待っていたのは――。 「A組へようこそ!」 という、歓迎の言葉だった。 「は?」 「あなた、仲井真一君でしょ? で、そっちは水崎あゆみさん」 「あ、はい」 「私、波田由利。よろしくね」 「よろしく。で、早速だけど何で俺らのこと?」 「あれ」 と、由利が教室の前の方の壁を指差す。 「写真?」 「全員の写真、それぞれの学校の卒業アルバムから持ってきたんだって」 「……それ、この学校の制度? それとも、担任の趣味?」 「たぶん後者」 真一は大きく溜息をつくと、皮肉を込めて言った。 「今年一年、話題には事欠きそうにないな……」 「まあまあ、シン君」 苦笑混じりに真一をなだめるあゆみを見て、由利は素っ気なく聞いた。 「二人って、恋人?」 「は、はい?」 薄赤くなりながら、表情を硬直させるあゆみ。 「……そういうことにしときたいんなら、それでもいいよ。どうせ何言ったって、信じちゃくれないだろうし」 「じゃあ、違うのね?」 由利が提供してきた否定の機会を、真一は意味ありげな言葉で無駄にした。 「いや、それもどうかな……」 「どっちなのよ、もう」 少しいらだつ由利の表情を楽しんだあと、真一は肩をすくめながら言った。 「まあ、好きなように。どうせどっちに受け取られても、外れても当たってもいないからさ」 「微妙な関係ってこと?」 「まあ、そうだな」 「じゃあ、これからが楽しみってことね」 そのとき、真一はあゆみが話していないことに気付き、少女に目を向ける。彼女は戸惑いの表情を浮かべて、二人のやりとりを見ていた。 「――しかし、さ」 黒板に張り出してある座席表を確認に行く少しの間に、真一が口を開いた。 「俺らって、他人からすれば恋人同士に見えるのかな」 「え、えっと……」 予想外の台詞に、あゆみは返答を探す。だがそれが出てくる前に、真一があまりにも意外な言葉を続けて口にした。 「まあ、俺からすれば別に構わないけど」 「え……?」 呆然とするあゆみに、真一がさも意外そうに尋ねた。 「何だよ、その顔。変なこと言ったか?」 「う、ううん!」 と、思い切り首を横に振って、あゆみは嬉しそうに微笑んだ。 「じゃ、そろそろ座るか。えっと、席は……」 言葉を切った真一は、そのまま大きくうなだれた。 「どうしたの?」 「どうやら俺、今年一年の運気は最悪らしいな……。波田の、隣だ」 「え? あ、本当だ」 「どうせならあゆみの隣がよかったんだけどな」 「わ、私の?」 動揺するあゆみに、真一は冗談っぽく言った。 「ああ。お前の隣だったら、安心して授業中居眠りできるからな。当てられても、すぐに起こしてくれるだろ?」 「もう……。授業中寝ちゃダメだってば」 「分かってるよ。冗談だ、冗談」 そう言って自分の席に着くと、予想通り由利が話しかけてきた。 「仲井君、隣?」 「見ての通りだ。まあ、とりあえず改めてよろしく。それはそうと、そろそろ移動しますか」 「移動って?」 由利の言葉に、思わず真一は椅子からずり落ちそうになる。 「入学式に決まってんだろが! 何しに今日ここに来たんだ!」 「あ、そっか」 真一は小さく溜息をつくと、 「……受難の年だな、今年は」 と、呟いた。 「――というわけで、私がこれから一年間、君たちの担任をする桜岡和美。よろしく」 クラスの拍手の中、由利が話しかけてきた。 「仲井君。桜岡さんって、年いくつくらいだと思う?」 「二十五、六……。まあ、三十よりは若いだろ」 「結婚してるかな」 真一は力を込めて、 「それは絶対にない。教師ってのは、婚期が遅い職業ベスト5に入るから」 と、隣席の女子の言葉を否定した。 「――それじゃ、君たちにも自己紹介してもらおうかな。じゃ、そっちの人から」 年度始め恒例の自己紹介大会が始まると同時に、真一が深く溜息をついた。 「どうしたの?」 「苦手なんだよな、自己紹介。まあ、適当に終わらすか」 そして、ものの数分もしないうちに、真一に順番が回ってきた。 「えっと……、仲井真一です。趣味は……まあ、色々ってことで。特技は……特にありません。よろしくお願いします」 と、席に座ると同時に桜岡が口を開いた。 「先生から質問、いい? 趣味って、具体的に何?」 「えっと……読書に音楽鑑賞に、映画鑑賞に……あと、写真撮ったりとか。あ、それに授業中寝ることってのもありますね」 「それって趣味なの?」 真一は毅然とした表情で、 「ええ、趣味です」 と言い切り、クラスを笑わせた。 「まあ、他にもあるんですけど、これ以上は長くなるんで」 「じゃ、次」 「ふう……」 息をつきながら席に着くと、早速由利が話しかけてきた。 「苦手とか言ってた割には、笑い取ったね」 「あ、あれは俺の唯一の持ちネタ。毎年やってることだから」 「ふうん」 「波田は何かやるの?」 「ううん。基本的に目立つつもりはないけど」 「まあ、波田の性格だったら今目立たなくてもあとで有名になってるだろうな」 「私もそう思う」 と、自ら頷く由利に呆れた真一は、肩をすくめ窓の外に視線を向けた。 青く澄んだ空。雲一つない青空の下、校庭に植えられた桜が弱い風に微かに揺らめいている。毎春、どこにでもある一つの風景。けれど、それを見飽きたと感じないのは何故だろう。 「――水崎あゆみです。趣味は、読書です。これから一年間、よろしくお願いします」 「あゆみらしいな」 小声で言ったつもりだったが、由利にはしっかり聞こえていた。 「さすが幼なじみ。そういう台詞は君の特権ね」 「特権ってそんな大層なもんじゃないだろうが」 「でも、あの子のことよく知らなきゃ言えないでしょ?」 「まあ、それはそうなんだけど……あ、波田、次お前の番だぞ」 由利は慌てて立ち上がると、自己紹介を始めた。 「え、えっと……波田由利って言います。趣味は読書と音楽鑑賞と――」 「いくら何でも、今日くらいは本性出さないか……」 だがしかし、その言葉は外れていた。 「あと、お酒を飲むことです」 そう言って座った直後、桜岡が口を開いた。 「もうみんな何言いたいか分かってると思うけど……波田さん、『お酒は二十歳になってから』って言葉、知ってる?」 「ええ? 中学卒業からじゃないんですか?」 「違うって」 クラスが笑い声で包まれる中、真一は一人頭を抱えて呟いていた。 「担任までこんなんかよ……」 やがて全員の自己紹介が終わると、桜岡が教師の顔に戻った。 「さて、これからクラス委員を決めたいと思うんだけど……」 その瞬間、全員からブーイングが発せられた。だが、桜岡は特に動じない。 「文句あるのはよく分かるんだけどね。決めなきゃいけないことだから。自薦及び他薦……ないよね、やっぱり。じゃあ、私が決めていい?」 そんな担任の台詞を聞き流しながら、眠りの世界へ入ろうとしていた真一だったが。 「それじゃ、仲井君と水崎さん」 「あ、はい」 と、あっさり頷くのは当然あゆみ。だが一方の真一は、わけの分からないという表情を浮かべていた。 「仲井君は?」 「ちょっと待って下さい。何で俺なんですか?」 「あなた入学試験での成績、トップだったから。ちなみに二位が水崎さん」 ざわつく教室。 「お、俺が学年トップ? 何かの間違いじゃないですか?」 「本当よ。何なら証拠、見てみる?」 と、桜岡は真一を手招き、教壇の陰で入学試験の成績が書いてあるカードを見せた。 「ほら、本当でしょ?」 それを見た真一は呆然と、 「本当だ……」 「というわけで、決定ね。ほら、水崎さんも前に出てきて司会やって」 「あ、はい」 「で、先生。司会って、何すればいいんですか?」 担任と入れ替わりに教壇に立った真一は、横に座る桜岡に尋ねた。 「あのね、うちの学校、今週授業ないのよ。まあ色々なオリエンテーションするんだけどね、その中でクラスの親睦を深めるために丸々三日ぐらい時間があるの」 「変わった学校ですね……」 真一の半ば呆れたような口調を意にも介さず、桜岡は飄々と応じた。 「まあ、そういう方が好きでしょ? それでね、そのときに何やるか決めて欲しいの」 真一は前方に振り返って、担任の言葉を引き継いだ。 「――だそうです。何か、やりたいことある?」 「カラオケ大会なんてどう?」 「そりゃ無理じゃない? 機材持ち込まなきゃならないし――」 常識的な判断から否定した真一だったが、担任の教師はそのクラス委員の言葉に対してかぶりを振った。 「できるわよ、カラオケ。うちの学校、通信カラオケあるから」 「……何でそんなもの学校にあるんですか」 「校長の趣味」 「どういう校長なんですか……」 真一は自分の眉間を押さえる仕草を見せながら言った。 「まあ、あんまり気にしないで。でもカラオケは、歌うのが苦手って人もいるだろうからやめた方がいいんじゃない?」 桜岡のまともな発言に、真一は内心で安堵しながら頷いた。 「そうですね。それじゃ、他には?」 「映画でも見るってのは?」 「親睦は深まらんだろ。先生、何か提案あります?」 「そうね……。せっかく桜も咲いてるんだから、花見酒っていうのはどう?」 「先生……。ここ、学校ですよ?」 「大丈夫。前歴あるから」 このとき、全員がツッコミを入れたくなったのは言う間でもないだろう。そしてその意志を代理したのは、真一だった。 「……本当にここ、高校ですか?」 「大丈夫。未成年の飲酒くらいじゃ、警察に捕まったりしないから」 「いや、そういう問題じゃ……。まあいいや。あゆ……水崎さん、黒板に書いて」 ついいつもの感じで名前を呼ぼうとした真一は、慌てて言い換えた。別に知り合いだという事実を隠す必要はないのだが、変に誤解されるとあとが面倒なのだ。 「三日あるんですよね? まさか三日とも宴会はできないんで、他に何かないですか?」 「スポーツ大会」 「まあ、無難なとこだな。で、何のスポーツ?」 「サッカー」 「いや、男子と女子が別れない方がいいと思うんだけど」 「じゃ、バレーボール」 「他には?」 「セパタクロー」 「……ルール誰も知らないだろうし、大体あれ、急にやってできるスポーツじゃないぞ。……って、みんなその前にセパタクロー自体知ってる? 知ってる人、挙手」 手を挙げたのは、十人にも満たなかった。 「ってことで却下。じゃ、バレーでいい? いいよな。じゃ決定。で、あと一日は?」 「みんなで今日の政治について考える……」 真一は皆まで言わせなかった。 「大却下。どうでもいいんだけど、うちのクラスってボケが多くないか? いや、それはそれでいいんだけどさ」 「じゃ、みんなでいろんなもの持ち寄ってオークション」 「『ハンマープライス』やってどうする」 「じゃ、ねるとん……」 「テレビから離れろって」 クラスは盛り上がるが、話があまり進んでいないのは気のせいだろう。 「いっそのこと、花見酒第二段でもやる?」 クラスの全員が歓声を上げた。真一は苦笑しながら、桜岡に同意を求める。 「これでいいですよね?」 「特に問題ないんじゃない?」 「じゃ、決まり。日程は、初日スポーツ大会。二日目以降が宴会。で、雨天の場合は……どうするんですか?」 「教室で決行。問題なし」 「……だそうです」 と、真一は疲労感を多く含ませた溜息をついた。 「じゃ、戻っていいわよ、お二人さん」 真一が席に戻ると同時に、由利が声をかけてきた。 「お疲れさま」 「本当に疲れたよ」 「にしても、仲井君って頭いいんだね。何か意外……」 「俺もだ。まさかあんないい結果だとは思ってなかったから」 と、真一は苦笑した。 「――はいじゃあ、今日はこれで終わり。掃除はしなくていいから」 三々五々、それぞれが散らばっていく。真一は教科書一式を重そうに持つあゆみに、気遣うような声をかけた。 「大丈夫か? 持ってやるよ」 「ううん。そんなに重くないから」 「いいからいいから。遠慮するなって」 「う、うん」 あゆみの手から本の入ったビニール袋を受け取ると、真一は素直な笑みを見せながら言った。 「せっかくの幼なじみなんだから、大いに利用しないと。それに、俺には変に気を遣わなくていいからさ」 「ありがとう、シン君」 「――あの」 教室を出ていこうとする二人の背中に、ためらうような声で誰かが声をかけた。 「ん?」 振り向く真一の目に映ったのは、ある男子のクラスメイトだった。 「仲井真一君と水崎あゆみさんだよね」 「そうだけど? えっと……確か……前原祐樹君だったよな」 「そう。あのさ、変なこと聞くけど、二人ってもしかして幼なじみ?」 真一は少し驚いて、 「そうだけど、何で知ってるんだ?」 「で、家は二人ともこの近く?」 「そうだけど、どうして……」 真一の言葉を全て聞かないうちに、祐樹の表情が笑顔へと変化した。 「ってことは、やっぱり真一とあゆちゃんだよね」 「え?」 二人とも一瞬呆気に取られ、そして――。 「あゆ……ちゃん? あゆみのことそう呼ぶのって……。前原、祐樹」 真一の表情が驚愕に変わり、言った。 「お前、もしかしてあの祐樹か!? 中学に上がるときに転校した!」 「そう。久しぶりだね、真一、あゆちゃん」 あまりにも意外な人物の登場に、あゆみが珍しく大きな声を出す。 「祐樹君!? 嘘、全然分からなかった!」 その幼い笑顔は、よく見れば別れた頃と何も変わっていなかった。今まで気付かなかったのが不思議なほどだ。 「こっち戻ってきてたのか。いつの間に?」 「つい最近。何かと忙しくてさ、連絡できなかったんだ」 「じゃ、一緒に帰るか。積もる話もたくさんあるし」 祐樹は申し訳なさそうに、自分の顔の前で手を合わせた。 「ごめん。今日は、寄るところあるんだ。また今度ってことで……」 「引っ越したばっかりだもんね。しょうがないよ」 と、あゆみは笑顔を見せたが、その表情はやはりどこか残念そうだった。 「でも、相変わらずあゆちゃんには優しいね、真一は」 祐樹の言葉を、視線を逸らしながら真一は否定した。 「そ……そんなことないって」 「じゃ、手に持ってるそれは何?」 祐樹の視線は真一の手にあるビニール袋に向いていた。真一はそれに視線を落としながら、さも当然といった感じで答える。 「だってこれ、重いだろ? だからだよ」 「普通、それを優しいって言うんじゃない?」 祐樹の穏やかな台詞は、真一に沈黙を与えた。そんな幼なじみに、少年は嬉しそうな顔をする。 「何も変わってないみたいだね、真一もあゆちゃんも」 「それは、祐樹君もでしょ?」 あゆみの問いに、祐樹は自信を持って頷いた。 「うん。僕は僕だから。じゃ、そろそろ帰るね。二人は?」 「俺はもう少しいるよ。あゆみはどうする?」 「私もいるよ」 そんな二人のやりとりを見て、祐樹は楽しそうな表情を浮かべる。 「あゆちゃんも、本当に変わってないね」 「え?」 「その、いつでも真一のそばにいようとするところとか」 「わ、私は……」 顔を真っ赤にして返答に困るあゆみを見て、真一がぶっきらぼうに言った。 「いいじゃないかよ、別に」 自分を見つめる少女を一瞬だけ見返してから、誰からも目を外して言葉を続ける。 「あゆみがどこにいたいと思ってたって、そんなの自由だろ? あんまりあゆみのことからかうな。それより祐樹、帰らなくていいのか?」 「あ、そうだ。じゃ、先に帰ってるね」 慌てた様子で教室を出ていく祐樹の背中を見送ると、真一は小さく息をついた。 「――なあ、あゆみ」 「な、何?」 「あの……俺のさっきの台詞、あゆみはどう受け取った?」 「さ、さっきのって?」 「だから……お前がどこにいたいと思ったって、それは自由だって台詞」 そう尋ねると、真一は窓の外へと感情を逃がした。ただ、都合の悪いことに窓にはあゆみの姿も映り込んでいる。 「シン君のそばにいていいって……そんな感じに聞こえた」 「う、うん。まあ、正確に言うといていいなんて偉そうなのじゃなくて、その……いて欲しいんだけど……」 真一の声は語尾になるにつれ小さくなっていったが、それが伝わったかどうかはあゆみの表情を見れば明白だった。窓の中にいる彼女は、笑っていた。少年は照れ隠しのため、話題を別な方向に向ける。 「そ、それよりさ、午後からどっか遊びに行かないか? 映画でも何でもいいから」 「うん、いいよ。それじゃ、一時にシン君の家に行くね」 「ああ。じゃ、帰るか」 |