LIVE-on the way-1



プロローグ

 彼が歩くのは、人が通らぬ獣道。他人との関わりを最小限にするには、結局誰にも出会わないことが一番効率的だった。
 日は西に傾き、一時間も経てば闇が辺りに降りてくるだろう。今日の野営場所を決めたセム・ファーイは、言葉をゆっくりと紡ぎ始めた。
「……風よ、此の地に生きる草木を薙げ」
 言い終わると同時に強い風の刃が吹き、周囲の木々を切り倒した。
 視界が開けると同時に、セムは違和感を覚えた。彼の視線の先には、困惑した顔の少女が一人、立ち尽くしていた。
「あ、あの……」
 少女は戸惑ってはいたものの、その顔に恐怖の色はなかった。セムは布袋の中から傷薬を取り出し、彼女に向かって放り投げる。
「妙な場所だけど、出会ったのは何かの縁。怪我人を無視するような趣味はないから」
「あの、お名前は? 私、シーラ・アミスって言います」
「セム・ファーイ」
「これ、使わせてもらいますね」
 あちこちが破れてはいるものの、元の綺麗さを容易に想像できる白い服。細い体にできた、無数のかすり傷。無造作に切り落とされたような、短い黒髪。澄んだ瞳がセムの視線に気付いて、微笑む。どれも、この場所には不釣り合いなものだった。
「どうしてシーラはこんなところに?」
「それはあなたも同じですよ」
 と、シーラは可笑しそうに目を細めた。
「いや、俺は冒険者だから。……それと『セム』でいい。それから、敬語は苦手だ」
「あ、うん。それで、冒険者って?」
「何でも屋だよ、要するに。依頼があれば何でもやります、ただし他人に害をなすことはお断り。今回の仕事は厄介でな、できるだけ他人と関わらないようにこんなところを通ってた」
「あ……ごめん……」
「いいさ。それより、シーラはどうしてこんなところに? 山歩きってわけじゃないだろう?」
「それは……」
 シーラの表情が曇る。セムはかぶりを振り、言った。
「言いたくないことは、誰にもある。……それよりシーラ、今日はどうする? この山、危険だぞ。野犬の住処だ。それにこれから夜にもなる。下手に動いたら、生きていられるかどうかすら保証はできない」
「でも……」
「急ぐ旅なのか?」
 首を横に振り、傷薬をセムに返すと、細い声で呟いた。
「サイルって街、知ってる?」
「ああ。品がいいとは言えない場所だが……」
「私は、サイルに向かっているの」
 セムは顔をしかめた。サイルという場所に関して、いい噂は聞かない。「爪弾きの集まる場所」「全てを失った人間が行き着く墓場」「終わりの街」……。
「シーラにふさわしい場所は、もっと他にあるんじゃないか? 何もサイルなんて……」
「ううん、たぶん私にはサイルしかないの。あそこ以外は、きっとどこも……」
 セムは小さく息をつき、空の端を見つめた。大気が夜の色を帯び始めた以上、今日はここから動くのは得策ではないだろう。意を決し、彼女に問うた。
「サイルには、何のために?」
「……分からない。だけど、サイル以外で私は生きていけないから……」
「死にに行くわけじゃ、ないんだな?」
「死んだら、全て終わり……。まだ私は、生きていたい」
「……分かった。じゃあ下がってろ」
 セムの視線は山の奥を見ていた。闇の中に浮かぶ無数の光が、野犬の瞳だと気付くのにそう時間はかからなかった。
「これ、持ってろ」
 シーラの手の中には小さなナイフがあった。その意味を問おうとしたシーラを一陣の風が遮り、彼女が口に出そうとしていた台詞を奪い去った。
「俺の方で追い払ってはみる。けど、数が多いからな。万が一取りこぼしたときは、それで何とかしてくれ」
「……うん」
「さて、と」
 剣を抜き、その刀身の上に手を置く。そして、詠唱。
「剣よ、幻影の炎を身に纏え。害を与えんとするものを遠ざける牙となれ……」
 セムが剣を振るった瞬間、その刃が炎を帯びた。夜が濃くなっていく山中で、彼の周囲だけが照らし出され、獣がひるんでいた。
「お前らの住処を侵したことは謝る。だが、ここで素直に傷を受けるわけにはいかない。何もしないと約束するから、この場は退いてくれないか?」
 野犬は威嚇するように唸り、侵入者を睨み続ける。本能を優先させ生きているが故の純粋な殺意をはねつけ、剣を構えると同時に、獣が牙を剥いた。
「……!」
 喉元に届こうとしていた獣の牙が、剣に遮られる。セムが叫んだ。
「退け!」
 犬の全身が炎に包まれる。数匹の先住者が少年に飛びかかった。
「素直に聞いちゃ……くれないか……!」
 爪と牙が、流れ出る血の量を増やしていく。致命傷を紙一重で避けてはいるものの、防戦一方であることには違いなかった。
 一瞬の隙に飛び退き、体勢を立て直す。牽制するように薙いだ剣の軌道に炎が走り、野犬の足を止めた。
「理不尽なのは承知しているが、こっちも守らなきゃならないものがある……。恨みたいなら、好きにしろ。だが……」
 剣に纏っている炎が大きさを増す。野犬が本能に従い怯えた次の瞬間には、全ては終わっていた。
「……悪い!」
 横に払われた剣から放たれた膨大な量の炎が、獣を一匹残らず包んでいた。剣を鞘に収め、セムはその場に座り込んだ。
「大丈夫……?」
「ああ、これくらい平気。それよりもシーラは、怪我とかしてないか?」
「うん。……ちょっと、ごめん」
 セムの左手を軽く握り、目を閉じる。少年の体全体が心地よい温度に包まれ、痛みが和らいでいくのが分かった。
「……はい、これでもう大丈夫だよ」
「え?」
 無数にあったはずの傷と痛みが、全て消えていた。戸惑い自分を見つめるセムに苦笑いを返し、
「驚いた?」
「驚いた……のは確か。今のは……?」
「どうしてかは知らないけど、私は生まれつき人の怪我を治せるの。ただ、自分の傷は治せないけどね。……死んじゃってるの?」
 その目は地面に横たわる野犬の群に向いていた。セムは首を振る。
「いや、気を失ってるだけだよ。侵入者に命まで奪われたら、こいつらが報われないから」
 シーラは犬の体を撫でながら、小さく呟いた。
「ごめんね……」
 彼女が触れていた犬が、ゆっくりと起き上がった。自分に微笑んでいる人間の手を舐め、犬は高く吠えた。再び剣を抜こうとした少年を制し、
「大丈夫だよ。この子たちは、もう何もしない……」
 と、もう一度犬の頭を撫でた。
 結果として、シーラの言うことは当たっていた。鳴き声が合図であったかのように他の犬も起き出し、山の奥へと消えていったのだから。
「……不思議な人だな」
「セムだって人のことは言えないんじゃない?」
「まあ、確かに。俺の力は……」
 シーラは首を振り、言った。
「いいよ、言わなくて。私を守ってくれた……それが、事実だもの」
「怖くないのか? 俺がシーラに何かをしない保証なんて、どこにもないんだぞ」
「もしセムが私を襲うつもりだったら、とっくにそうしてるんじゃない? ここ以上に邪魔の入らない場所ってそんなにないしね」
 セムは少しの間、考え込む素振りを見せていたが、やがて空を仰ぐと小さく息をついた。
「どうして俺のこと、そんなに信じられる?」
「自分を助けてくれた人を疑うのは、悲しいことだから」
「でも……」
「お母さんが、ずっと言ってた……。人を信じなければきっと裏切られることもないけど、でもそれは悲しいことだって。傷ついても、私は信じていたい」
 そう言うと、薄い闇が取り巻く中でシーラは微笑み、
「少なくとも、セムは私を助けてくれた。信じるのに、それ以上の理由って必要なのかな?」
「シーラを助けたのが、人にあらざる力でも?」
 問うた少年の手を取り、少女は微笑を浮かべた。命の危機にさらされても動じることのない彼の鼓動が、急激にそのリズムを速める。シーラの手は、暖かかった。
「セムの手も、声も、瞳も……私と何が違うの? 同じだよ……他の人にできないことが、たまたまできるっていうだけで」
 手を離し、シーラは再び笑った。
「信じるよ、私は。そう決めたから」
「……分かった。それなら俺も、シーラを裏切らない。約束する。それより、これからシーラはどうするんだ?」
 世界はもう暗闇に包まれていた。肌に触れる空気も、ほんの数時間前よりずっと冷たくなっている。この場を動くのが危険だということに、気付かない人間は数えるほどしかいないだろう。
「野宿して、朝にでも出発するつもり。山を抜けて、街道に出て……」
「なら、少し寄り道するけど、俺についてくるといい」
「……え?」
「セム・ファーイ。十七歳、職業冒険者。居住地……サイル」
 布袋の中からランプを取り出し、灯をともす。呆気にとられているシーラの横顔が、照らし出された。
「仕事を済ませてから向かうことになるから時間はかかるが、案内としては確実だろ?」
「……隠してた?」
「サイルに存在するルールは二つだけ。他人を傷つけないことと、生きる意志を放棄しないこと。シーラに本当に生きたがっているのかどうか、見定めなきゃいけなかった。あそこに来ようとする人間の中には、死を望むほどの現実を抱えた奴も少なくないからな。ほら、これ食べろ」
「……うん」
 セムが差し出したパンを受け取り、それをちぎって口の中に放り込んだ。よくよく考えてみれば、今朝以来の食事だった。
「何があったかは……聞かない。話したくなったら、自分一人でその『現実』を抱え込んでるのが嫌になったら、話してくれればいい。――そこらにある枝、拾ってくれないか?」
 折れた枝や落ち葉を集め、それに火をつける。地面に直接座り込んだシーラは、幻想的に揺らめく小さな炎を眺めていた。
「……綺麗だね」
 何故人は火を目の当たりにすると言葉をなくしてしまうのだろうか。あるいはそれこそが、理性を持った生命に残る、『生物』の証なのかも知れない。
「セムのことは……聞いてもいいの?」
「まあ、大体は」
「じゃあどうして、冒険者をやってるの?」
「俺の力はシーラとは正反対で、破壊したり傷つけたりすることにしか使えない。だからこそ、この力を役立たせられる職も限られてくる。冒険者……要するに何でも屋ってのは、需要の割に社会的地位は低いからな。胡散臭い人間がやるには、うってつけなんだよ」
「でもセムは、私を守ってくれたじゃない」
「全ての力は、使い方次第ってことだ。果物ナイフでも、人は刺せる。そういうことだよ」
 セムの表情は分からなかった。けれど淡々としたその声は、何故か悲しい色を帯びているように思えた。
「……サイルは、どんなところ?」
「少なくとも、世間で知られているイメージとは違う。自分が住んでるから贔屓目ってのはどうしても否定できないけど、いいところであることは確か。……上が情報操作してるんだよ」
「情報……操作?」
 頷いたセムは苛立ちを隠さず、感情を叩きつけるように言葉を吐き出した。
「隠れ蓑なんだよ、あの街は!」
 いくつか大きく息をして心を落ち着けると、怯えた顔色を見せているシーラに謝罪した。
「……悪い」
「あ……ううん、大丈夫。でも、隠れ蓑って?」
「この国の政治……上手くいってるとは思えないだろ?」
「ごめん。私、そういうのはちょっと……」
「サイルって場所は、お偉方の連中がその能力じゃ扱いきれない『弱者』の居場所でもあるんだ。俺やシーラはかなり特殊だから話は別だが、たとえば貧しい者、病んだ者……そういう、今の上の連中じゃ手に余る人間をサイルに住まわせておいて、自分たちの無能を隠そうって腹積もりなんだよ。そのおかげで、サイルは上にほとんど干渉されない、この国で一番『自由な場所』なんだ。……皮肉でしかないけどな。サイルがまるで無法地帯みたいに言われるよう仕向けているのは、あの場所にあまり多くの人間が行かないようにするためだ。それだけ、この国には『弱者』が多いからな」
「……」
「でも、『弱者』は本当は弱くない。病んでいても貧しくても、生きている。そういうことを、いつか絶対に頭の悪い連中に教え込んでやろうと思ってる」
 風が吹き、炎が揺れた。自分の上着を投げ渡し、セムは不愛想に言う。
「……寒いだろ」
「でも……」
「俺は平気だから」
「うん」
 サイズが少し大きい上着を羽織り――その服を着たとき初めてセムが意外と小柄だということに気付いた――、シーラはふと空を仰いだ。月が満ちていた。
「私ね、死のうと思ってこの山に入ったの」
「……」
「この山だったら、死んでても誰にも迷惑がかからない……そう思って。でも、駄目だった……。夜が近づいてくると、怖くなって……。それで、やっぱりまだ私は生きていたいんだな、って」
 穏やかに笑って、目を閉じる。
「眠って……いいかな。安心したら、眠くなって……」
「ああ、ゆっくり寝ておけ」
 程なく、炎の音に寝息が混じり出す。横たわる少女に毛布を掛け、炎をその姿が失われるまでずっと見つめていた。


第一章 補い合う者

 自分の力が、嫌いだった。
 言葉にしたことが現実となる能力。破壊と殺傷にしか効果のないそれを、何度捨てようと思っただろうか。
 ある夜、少年は湖に出向いた。神がいると言われ、一年に一度の祭りのときにしか入ることを許されない、澄んだ湖だった。彼はその場で、自らの喉を焼いた。力を消せないのなら、それを発動できないようにしてしまえばいい。安易で幼い、「正解」だった。
 神聖なる湖をその実行場所として選んだのは、二つの理由があった。一つは、邪魔が入らないようにするため。もう一つは、当てつけだった。「神」は誰も救いはしないことを、証明するつもりだった。
 彼が目を覚ましたとき、傍らには女性がいた。見たことのない、けれど綺麗な人だった。
「大丈夫?」
「……」
「あんな無茶して……死んじゃうところだったわよ」
「死んでも……よかった。どうして助けた」
 喉は何事もなかったかのように治っていた。それを不思議に思う隙間もないほど、少年は女性を憎んでいた。
「喉にひどい火傷を負って倒れてたのに、助けない方がどうかしてるわ」
「あんた、この近くに住む人間じゃないだろ」
「ええ。旅の途中よ」
「この湖には神が住んでるって迷信があるから、この近くの人間は決して近づこうとしない。それに、絶対俺を助けたりはしないだろうしな」
「助けない? それってどういう……」
「……切り落とせ!」
 女性の言葉を遮るように少年が叫んだ刹那、彼女の長髪が首までの長さになっていた。地面に散らばった茶色い髪を見ながら、吐き捨てるように言う。
「これが俺の力だよ。言葉にしたことを現実にできる……人間にはあり得ない能力だ」
「……だから、喉を?」
「分かったら、どこかに行ってくれ」
「行ったら、また喉を焼くんでしょう? それが分かってて立ち去れると思う?」
「……なら、無理にでも立ち去らせてやる」
 少年の手のひらの上に炎が浮かび、それが次第に大きくなっていく。能力者が言った。
「見ず知らずの人間のために、苦しい思いはしたくないだろう?」
「……あなたには、できない」
 女性は目を閉じ、ゆっくりと首を横に振った。
「もしあなたにそんなことができるなら、自分の力を捨てようとは思わないはずだもの。復讐するなら、その力は使えた方が都合がいいはず」
「……」
「自らの力を憎悪していたとしても、それで他人を傷つけるのは愚かしいことだと分かってる。だから、できない」
「……お人好しが!」
 少年の腕が振るわれる。眼前に迫る炎に、女性が動じることはない。
「……くっ!」
 女性の鼻先で、炎が四散した。
「よけろよ、馬鹿……!」
「その必要はなかったでしょう?」
 微笑んで、女性はその場に力なく座り込んだ。
「でも、驚いた……」
「……怪我は?」
「平気。ちょっとびっくりしただけだから……」
 女性は再び笑い、目を細めた。
「やっぱり、思った通り……あなたは傷つけられない」
「……」
「目を見れば、何となく分かる……。他人を傷つけられる人の目は、あなたのように澄んではいないもの」
「……この力は……傷つけたり、壊したりすることしかできないんだ……。それなのに、俺は……」
「ごく当たり前のことだけど、力はその使い方次第で守ることもできるわ。あなたの力が本当に悲しいことしか生み出さないんだとしたら、あなたがその力を持っている意味がなくなる。それは、おかしいことでしょう?」
「意味なんて……あるのか……?」
「もしどうしても見つからないなら、与えればいいのよ。自分の手で、意味をね」
 湖を取り囲む木々が騒ぎ出し、湖面が静かに波立ち始める。地面に散乱していた茶色い髪が、自然の息吹に舞っていた。
「髪、悪い……」
「ああ、いいのよ。どうせもうそろそろ切っちゃおうって思ってたところだったから。これから、どうするの?」
「……生きる。この力も、捨てない。自分に何ができるのかを探して、旅に出ようと思う。どっちにしろ、ここの村にはもう住んでられない。この湖に入り込んだからな」
「それなら、サイルを訪ねるといいわ。あそこならもしかしたら、あなたも受け入れてくれるかも知れない」
「……ありがとう。ええと……名前は?」
「ミルア。あなたは?」
「俺は――」


「お母さんの名前? 『サナ』だけど……どうして?」
「断言はできないけど、子供の頃にシーラと同じような力を持つ女性に助けられたことがあった。もしかしたら、シーラに関係ある人じゃないかと思ってな」
「この力を持ってるのは、少なくとも周りでは私だけだよ」
「……そっか」
「見つかるといいね」
 セムは曖昧に頷いた。
「これから、どこに行くの?」
「アポスって街だよ。そこに最近化け物が出るってんで、退治を頼まれたってわけだ」
「危なくないの?」
「危ないに決まってる。そういう仕事だからな」
「……」
 不安そうなシーラの顔を見ながら、セムは珍しく冗句を口にした。
「大丈夫だよ。怪我したら、シーラが治してくれるだろ?」
「それはそうだけど……。でもやっぱり、怪我はしない方がいいよ……」
「大丈夫だよ。そんな簡単にやられやしないさ」
「私……もう一人になるのは嫌だよ……」
 うつむくシーラの表情は見えなかった。流れる雲を見つめながら、セムが言った。
「約束しただろ、裏切らないって。悲しませることも裏切りの一つだって、俺は思ってる」
「……うん。ごめんね……何か変だよね。昨日知り合ったばっかりなのにこんなの……」
「心配されるのも、そんなに悪くないから気にするな」
 過去においては、無理をしたことも少なくなかった。命の危険に晒されたことも一度や二度ではなく、生死の狭間に置かれたこともあった。それは皮肉にも、まだ心のどこかで死を望んでいたのかも知れない。だが今は、無事にサイルに帰ることを第一に考えていた。
「セムは一人の方が好きなの?」
「いや。誰かと一緒にいる方がいい。一人に慣れちゃいけないとも思ってるから、むしろシーラに出会えてよかったよ。この仕事は、基本的に孤独だから」
「私も、セムに会えてよかったと思ってるよ。セムに会えなかったらたぶんずっと一人だったし、それに生きてたかどうかも分からないから」
「ずっと一人って……家族は?」
「……死んじゃった」
 一瞬、セムは二の句が継げなくなる。一秒にも満たない沈黙の時間のうちに少女は笑顔を作り、続けた。
「一昨日、ちょっと色々あって……それで私は、一人になっちゃった」
「……悪い」
「ううん、大丈夫」
 と、シーラは微笑を浮かべる。その表情が、セムの胸の痛みをより強くした。
「アポスって、ここから遠いの?」
「明日中には着けると思う。悪い、野宿ばかりさせて……」
「気にしないで。外で寝るのって、結構好きだから」
 それが本心なのか、それとも自分に対する気遣いなのかセムには分からなかった。真実を追究しようとしても、それを許さないほどシーラの笑顔は無邪気だった。
「星空の下にいると、自分が一人じゃないって思えるの。きっと同じ空を見てる人がどこかにいるんだろう、って。それに今は、セムもいるし」
「……そうだな」
「運命なんて信じないけど、セムと出会ったのはきっと何かの縁があったからだと思うの。もしかしたら、私が生きることを望んでる何かが、引き合わせてくれたのかも」
 誰もいない街道の途中に咲く花が、風に揺れていた。山道を歩くばかりでは決して出会わなかったであろう植物は、「望まぬ嘘」という意味を持っていた。
「……俺は、自分の親のこと大嫌いだけど……でも、分かる。親が死んだら悲しいし、それがほんの数日前だったら、そんな風に笑ってなくていいんだ」
「……」
「出会ったばっかりでほとんど赤の他人だけど、それでも全く見ず知らずってわけじゃない。……少しくらい、頼ってくれても構わない」
「馬鹿……」
「……悪い」
 寄りかかるように、セムの胸に額をぶつける。少女の頭に手を置いて、少年は小さく息をついた。
「私は泣かないって決めたんだから……」
「それでも別に構わない。ただ、無理のしすぎはよくないって、それを言いたかっただけだから」
「……うん。もう少しだけ、こうしてていい……?」
 セムは何も言わず、空をずっと仰いでいた。
 結局、シーラは一粒の涙を見せることさえなかった。